家紋や名字、その他「和」に関するコラム

  • 戸板康二の家紋

    戸板康二の家紋1915年12月14日 - 1993年1月23日、 小説家・随筆家。
    東京都港区出身。旧姓山口。戸板学園創立者・戸板関子の養子。歌舞伎評論の『歌舞伎への招待』はロングセラー。『車引殺人事件』で推理作家としてデビュー。『団十郎切腹事件』で直木賞受賞。画像は総持寺にて撮影。

    家紋は丸に頭合わせ九枚笹
  • 家紋関連著書のご案内(姓氏・家系・家紋の調べ方)

    家紋の調べ方自分のルーツが知りたい。姓のいわれが知りたい。わが家の家紋とその意味を知りたい。がどうしたらいいのか解らない人のための必読の本。家紋250点も収録。

    著者: 丹羽基二

     
  • 家紋関連著書のご案内( 知っておきたい日本の名字と家紋)

    知っておきたい日本の家紋と名字 由来と分布でわかる身近な歴史! ご先祖にかかわる歴史雑学のミニ百科。

    鈴木は「すすき」? 佐藤・加藤・伊藤の系譜は同じ? 約二九万種類ある名字の多様な発生と系譜、地域分布や珍しい名字のいわれ、家紋の由来と種類など、ご先祖につながる名字のタテとヨコがわかる歴史雑学。

    著: 武光 誠
  • 出口王仁三郎の家紋

    出口王仁三郎の家紋1871年8月27日 - 1948年1月19日、 宗教家。
    京都府亀岡市出身。読みは、でぐちおにさぶろう。大本教の教祖の一人。尊称は「聖師」。生家は農家の上田家。出口家の入り婿となり名前を出口王仁三郎とする。

    出口家の家紋は抱き茗荷。上田家の家紋は丸に十字。大本教の神紋は十曜紋。
  • 塚本勝嘉の家紋

    塚本勝嘉の家紋1847年12月27日 - 1912年1月15日、 陸軍軍人。
    大垣藩士・井道住右衛門の三男。同藩士・塚本勝茂の養子となる。読みは、つかもとかつよし。戊辰戦争、西南戦争、日清戦争、日露戦争に出征。男爵を叙爵し華族となる。最終階級は陸軍中将。

    家紋の抱き茗荷紋は、「華族家系大成」による。
  • 家紋関連著書のご案内(日本の家紋)

    日本の家紋家紋は、日本の家の由緒や家系を表すものとして代々伝えられてきた「しるし」です。平安時代、貴族が牛車などに付けたことを起こりとし武家社会では敵味方を識別するための旗印にも用いられました。やがて太平の続く江戸時代には、庶民にも大いに広まり衣服文化との深いつながりから装飾性が強調されていったのです。本書は、家紋帖の決定版として全4560種をモチーフ別に収録、その豊かなバリエーションをお楽しみいただけます。

    青幻舎
  • 近松門左衛門の家紋

    近松門左衛門の家紋1653年 - 1725年1月6日、 人形浄瑠璃作者。
    越前藩士・杉森信義の子として生まれた。本名は杉森信盛。竹本座に属する浄瑠璃作者で、中途で歌舞伎狂言作者に転向した。100作以上の浄瑠璃を書いた。代表作は『曾根崎心中』『国性爺合戦』『心中天網島』。広済寺にて家紋撮影。

    家紋は丸に一の字紋
  • 大受久晃の家紋

    大受久晃の家紋1950年3月19日 - 、 元大相撲力士。
    北海道瀬棚郡瀬棚町出身。本名は堺谷利秋。生涯戦歴は462勝388敗31休。最高位は大関だが、大関在位は5場所に終わり短命記録を作ってしまう。現在は年寄・朝日山を襲名し朝日山部屋を継承。審判委員を務めている。

    家紋は丸に五三桐紋
  • 相馬大作の家紋

    相馬大作の家紋1798年 - 1822年8月29日、 檜山騒動首謀者。
    陸奥国二戸郡福岡(現・岩手県二戸市)出身。本名は下斗米将真(しもとまいまさざね)。平将門の子孫である相馬師胤の末裔。津軽藩主の弘前入部の途中,矢立嶺,六郷川畔でこれを襲撃しようとしたが失敗し(檜山騒動)、江戸で捕えられ処刑された。

    家紋は相馬繋ぎ馬紋
  • 瀬川菊之丞(初代)の家紋

    瀬川菊之丞(初代)の家紋1693年 - 1749年10月12日、 歌舞伎役者。
    元は大坂道頓堀の貝塚屋仁三郎抱えの濱村屋吉次という色子。読みは、せがわきくのじょう。女形の名優。能に取材した舞踊にも傑作を残し、『道成寺』や『石橋』の所作事を得意とした。芸論書に『女方秘伝』がある。家紋は大雲寺にて撮影。

    家紋は丸に結綿紋