家紋や名字、その他「和」に関するコラム

  • 宝生九郎の家紋

    宝生九郎の家紋1837年7月10日 - 1917年3月9日、 能楽師。
    能楽シテ方宝生流16世宗家。本名は知栄。維新後衰退した能楽界にあってその復興の中心を担い初世梅若実・櫻間伴馬とともに「明治の三名人」と並び称される。多くの後進を育て宝生流のみならず能楽界全体の発展に力を尽くす。

    家紋は九本矢車紋
  • 別府晋介の家紋

    別府晋介の家紋1847年 - 1877年9月24日、 薩摩藩士。
    薩摩国鹿児島郡吉野村出身。桐野利秋は従兄。戊辰戦争では、川村純義指揮の元、勇戦した。外務大丞・花房義質の随員として朝鮮を視察。西南戦争では、篠原国幹・村田新八らとともに薩摩方につき、最後、西郷隆盛を介錯した。

    家紋は丸に日の丸扇紋
  • 深尾須磨子の家紋

    深尾須磨子の家紋1888年11月18日 - 1974年3月31日、 詩人、作家。
    兵庫県氷上郡大路村出身。与謝野晶子に師事。戦前はベニート・ムッソリーニに心酔し、『改造』に「ムッソリーニの夜」という一文をよせたが、戦後は平和運動に活躍した。文学者掃苔録図書館の墓所写真にて確認。

    家紋は丸に一引両紋
  • 日色ともえの家紋

    日色ともえの家紋1941年6月4日 - 、 劇団民藝所属の女優。
    東京都出身。父親は東京新聞社社員で、将棋観戦記者・演芸評論家であった日色恵。NHK朝の連続テレビ小説『旅路』のヒロイン。 丹羽基二著「家紋と家系」事典には茗荷紋として紹介されているが、春秋苑・生前墓には丸に違い鷹の羽紋が刻まれている。

     
  • バーブ佐竹の家紋

    バーブ佐竹の家紋1935年2月7日 - 2003年12月5日、 歌手。
    北海道釧路市出身。本名は佐武豊。『女心の唄』でレコードデビュー。250万枚を超える大ヒットとなり、翌年の第7回日本レコード大賞新人賞を受賞。その後も『ネオン川』『カクテル小唄』がヒット。墓所画像にて確認。

    家紋は五本扇に月紋。
  • 納富介次郎の家紋

    納富介次郎の家紋1844年5月19日 - 1918年3月9日、 工業デザイナー
    肥前国出身。小城藩士・柴田花守の次男。読みは、のうとみかいじろう。フィラデルフィア万博では、専任審査官として出品審査を行うとともに、自らデザインした陶磁器なども出品した。「デザイン」を「図案」と翻訳したという。

    家紋は三つ花菱紋。
  • 根津嘉一郎(初代)の家紋

    根津嘉一郎(初代)の家紋1860年8月1日 - 1940年1月4日、 実業家。
    甲斐国山梨郡正徳寺村出身。根津家は雑穀商や質屋業も営む豪商。東武鉄道や南海電気鉄道など日本国内の多くの鉄道敷設や再建事業に関わり「鉄道王」と呼ばれた。若尾逸平や雨宮敬次郎等と甲州財閥を形成。画像は多磨霊園にて撮影。

    家紋は丸に根笹
  • 沼澤尚の家紋

    沼澤尚の家紋1960年4月19日 - 、 ドラマー。
    東京都新宿区出身。父は元プロ野球選手の沼澤康一郎。様々なアーティストのレコーディング、ライブサポートを行う傍ら自身のバンドでも精力的に活動し日本で一番忙しいドラマーと称される。画像は多磨霊園の康一郎の墓所にて撮影。

    家紋は丸に隅立て四つ目
  • 新沼謙治の家紋

    新沼謙治の家紋1956年2月27日 -、 演歌歌手、俳優。
    岩手県大船渡市出身。中学校を卒業後、集団就職で左官業の会社で働く。「おもいで岬」でレコードデビュー。「嫁に来ないか」が大ヒットを記録。家紋は、1980年頃の雑誌記事「これがアイドルスターの家紋だ!!」より。

    家紋は丸に剣片喰紋
  • 内藤多仲の家紋

    内藤多仲の家紋1886年6月12日 - 1970年8月25日、 建築構造学者。
    山梨県中巨摩郡榊村出身。読みは、ないとうたちゅう。佐野利器に師事。日本興業銀行本店や歌舞伎座等の構造設計を行い「耐震構造の父」と評される。戦後は東京タワー、通天閣(二代目)を設計。画像は多磨霊園の墓所にて撮影。

    家紋は丸に下り藤紋