家紋や名字、その他「和」に関するコラム

  • 辰野金吾の家紋

    辰野金吾の家紋1854年10月13日 - 1919年3月25日、 建築家。
    肥前国・唐津藩の下級藩士の子。帝国大学工科大学学長、建築学会会長。日本銀行本店、東京駅、東京ステーションホテル、韓国銀行貨幤金融博物館等を建築。設計の頑丈さから辰野堅固と呼ばれた。家紋は対い銀杏紋。画像は新宿・常圓寺にて撮影。

    家紋は対い銀杏紋
  • 瀧口修造の家紋

    瀧口修造の家紋1903年12月7日 - 1979年7月1日、 美術評論家。
    富山県婦負郡寒江村大塚出身。3人姉弟の長男。近代日本を代表する美術評論家、詩人、画家。戦前・戦後の日本における正統シュルレアリスムの理論的支柱。治安維持法違反容疑で特高に逮捕された。墓所の写真にて確認。

    家紋は二つ雁に沢瀉紋。
  • 高田実の家紋

    高田実の家紋1871年5月8日 - 1916年5月24日、 新派俳優。
    東京生まれ。川上音二郎一座の「日清戦争」で李鴻章に扮したのが出世役。大阪で成美団を結成。評論「自然主義新演劇を唱ふ」を発表、関西新派の中心俳優として活躍し「新演劇の団十郎」と呼ばれた。画像は金嶺院にて撮影。

    家紋は丸に結び雁金紋
  • 金子みすゞの家紋

    金子みすゞの家紋1903年4月11日 - 1930年3月10日、 童謡詩人。
    山口県大津郡仙崎村出身。本名は、金子テル。26歳の若さでこの世を去るまでに512編もの詩を綴ったとされる。西條八十からは若き童謡詩人の中の巨星と賞賛された。代表作は『大漁』。画像は金子みすゞ記念館からの御提供。

    家紋は丸に梅鉢紋
  • 加藤定吉の家紋

    加藤定吉の家紋1861年12月19日 - 1927年9月5日、 海軍軍人
    江戸出身。幕臣・加藤泰吉の三男。読みは、かとうさだきち。養嗣子・泰邦は出羽重遠の実子。第一次世界大戦において第二艦隊司令長官として青島封鎖作戦を指揮。艦隊派に属し、最終階級は海軍大将。

    家紋の上がり藤は大久保・専福寺にて撮影。
  • 貝賀友信の家紋

    貝賀友信の家紋1650年 - 1703年3月20日、 侍。
    赤穂藩浅野家家臣吉田助兵衛の二男として誕生。本姓は藤原氏。貝賀新兵衛の養子となる。読みは、かいがとものぶ。穂藩では中小姓・蔵奉行。赤穂四十七士の一人。吉良義央邸討ち入りでは弥左衛門は表門隊に属し、門の警戒にあたった。

    家紋は重ね扇紋
  • 家紋の調べ方

    家紋の調べ方




    1. 家紋名やキーワードで検索する。


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      〈入力例〉丸に違い鷹の羽、丸 井桁 蛇の目、など紋名の一部を入力し、絞り込んで家紋決定画面にお進みください。


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  • 大下藤次郎の家紋

    大下藤次郎の家紋1870年7月9日 - 1911年10月10日、 水彩画家。
    東京市出身。馬宿、馬車問屋を営む家に出生。家業を手伝う傍ら美術界へ進むことを決意し絵画を学ぶ。技法書の『水彩画之栞』を刊行しベストセラーとなる。美術雑誌『みづゑ』を刊行。画像は雑司が谷の墓所にて撮影。

    家紋は丸に並び鷹の羽紋
  • 江口麟六の家紋

    江口麟六の家紋1865年5月9日 - 1941年3月19日、 海軍軍人。
    肥前国出身。読みは、えぐちりんろく。小説『坂の上の雲』にも「赤城」の艦長として登場する。旅順口封鎖にあたって、日本流の水泳術で機械水雷を沈めに行くという作戦を採用した。最高階級は、海軍中将。

    家紋の中陰桔梗紋は、賢崇寺にて撮影。
  • 石破茂の家紋

    石破茂の家紋1957年2月4日 - 、 政治家。
    鳥取県八頭郡八頭町出身。父・石破二朗は鳥取県知事、衆議院議員、自治大臣などを務める。本人は、防衛大臣、農林水産大臣、自民党幹事長、内閣府特命担当大臣兼地方創生担当大臣等を歴任した。

    家紋の丸に剣片喰紋は石破二朗の墓所にて撮影。