家紋や名字、その他「和」に関するコラム

  • 西川きよしの家紋

    西川きよしの家紋1946年7月2日 - 、 お笑い芸人。
    高知県高知市出身。大阪市育ち。本名は、西川潔。横山やすしとの漫才コンビ「やすしきよし」で活躍し、漫才ブームの火付け役となる。吉本興業では、桂文枝、笑福亭仁鶴と共にトップに君臨。1986年から三期18年に渡って参議院議員も務めた。

    家紋は丸に違い矢
  • 仁尾惟茂の家紋

    仁尾惟茂の家紋1853年12月28日 - 1932年4月11日、 官僚。
    土佐国出身。読みは、におこれしげ。戊辰戦争や会津戦争に従軍。維新後、大蔵省の官僚として煙草専売局長、専売局長官などを歴任。韓国政府の財政顧問も勤める。中村市の日本たばこ構内に銅像が建つ。画像は青山霊園にて撮影。

    家紋は丸に二引両紋
  • 中村泰三郎の家紋

    中村泰三郎の家紋1912年1月24日 - 2003年5月13日、 抜刀家。
    山形県上山市出身。実践剣術・戸山流抜刀術を修練し中村流抜刀道を創始。国際居合抜刀道連盟(国際抜刀道連盟の前身)を組織。国際武道院より抜刀道十段を授与される。橋本龍太郎に山岡鉄舟愛刀「左文字」の写しを献上した。

    家紋は丸に菊水紋
  • 内藤昌豊の家紋

    内藤昌豊家紋1522年 - 1575年6月29日、 武将。武田氏の家臣。
    甲斐国出身。読みは、ないとうまさとよ。武田信虎の重臣・工藤虎豊の次男。武田の四名臣の一人(他の三人は馬場信春、山県昌景、高坂昌信)。第4次川中島の戦いでは、上杉軍の背後を襲う妻女山別働隊の大将として活躍。

    家紋は丸に花菱、下り藤。
  • 利根一郎の家紋

    利根一郎の家紋1918年4月15日 - 1991年12月16日、 作曲家。
    群馬県邑楽郡明和町出身。本名、恩田良武。作曲家人生49年で1200余曲を作曲。代表曲は『星の流れに』『ミネソタの卵売り』『若いお巡りさん』等。『霧氷』で日本レコード大賞獲得。勲四等瑞宝章受章。画像は多磨霊園にて撮影。

    家紋は丸に片喰紋
  • 土肥原賢二の家紋

    土肥原賢二の家紋1883年8月8日 - 1948年12月23日、 陸軍軍人。
    岡山県岡山市出身。謀略部門のトップとして満洲国建国及び華北分離工作で活躍。「満洲のローレンス」と呼ばれていた。終戦後、特に中国からの主張によりA級戦犯として絞首刑となる。最終階級は陸軍大将。画像は護国寺にて撮影。

    家紋は鬼蔦紋
  • 寺内正毅の家紋

    寺内正毅の家紋

    1852年2月24日 - 1919年11月3日、 政治家。
    周防国出身。長州藩士宇多田正輔の三男。読みは、てらうちまさたけ。母方の寺内勘右衛門の養嗣子となる。陸軍大臣、外務大臣、韓国統監、朝鮮総督、内閣総理大臣(第18代)、大蔵大臣を歴任。最終階級は元帥陸軍大将。

    家紋は亀甲に三つ柏紋
  • 都筑馨六の家紋

    都筑馨六の家紋1861年3月27日 - 1923年7月6日、 官僚、政治家。
    上野国出身。名主・藤井安治の二男。西条藩士・都筑侗忠の養子となる。読みは、つづきけいろく。妻・光子は井上馨の娘。井上馨外相、山縣有朋首相の秘書官を務め、立憲政友会の創立に参加した。

    家紋の尻合せ三つ雁金紋は、「華族家系大成」による。
  • 千葉敦子の家紋

    千葉敦子の家紋1940年11月6日 - 1987年7月9日、 ジャーナリスト。
    中国上海出身。東京新聞退社後、フリーランスジャーナリストとして活動。「フォーブス」「フォーチュン」などに寄稿。遺言によりニューヨークに財団法人「千葉敦子基金」が設立された。画像は谷中霊園寛永寺墓地にて撮影。

    家紋は九曜紋
  • 玉袋筋太郎の家紋

    玉袋筋太郎の家紋1967年6月22日 - 、 お笑い芸人。
    東京都新宿区出身。本名は、赤江祐一。ビートたけしに弟子入り。お笑いコンビ浅草キッドのメンバー。出演代表番組は「ゲームレコードGP」「平成教育委員会」など多数。一般社団法人全日本スナック連盟の会長をつとめる。

    家紋は丸に蔓柏紋