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豆知識

まめ知識家紋や名字、その他「和」に関するミニコラム

全国名字めぐりの旅 青森県(4)

成田さんも青森県に多い名字だ。ルーツはやはり藤原姓。そもそも藤原という氏(うじ)は気が遠くなるほど由緒が古い。家系図によると初代は宇宙の始まりに現れた「アメノミナカヌシノ神」という神様。その子孫は神の言葉を人間に伝達する神主になって中臣(なかとみ)という氏を名乗り、中臣鎌足(かまたり)のとき天智天皇に仕えて活躍した功績により669年に藤原という氏を授かった。この藤原氏は娘を天皇に嫁がせることによって権力を強め、「この世をばわが世とぞ思う…」と豪語した藤原道長(966-1027)のとき頂点に達する。以降、都で天皇の御側に仕えた公家の大半は藤原氏によって独占され、道長の直系は終戦直後に服毒自殺した近衛文麿元首相である。
都で絶大な権力をふるった藤原氏だが、さすがに一門が増えると都で役人になれない者も現れ、そういう者は全国に移住して武士となった。成田さんの先祖もその一人である。都から埼玉の成田という土地に移住して成田という名字を名乗り、さらに分家が秋田県の鹿角市に移動。成田六郎泰次は南北朝時代(1331-92)に斜陽の南朝天皇のために戦っている。成田さんの身体には義に篤い血が流れているのだ。家紋は「丸に三つ引き」など。この家紋の横棒は龍を表している。三つ引きは三匹の龍が絡み合いながら天に昇る姿を図形化したもの。昔から天下を取れる家紋だといわれている。事実、「二つ引き」紋の足利尊氏は天下を制覇し室町幕府を開いた。(出典 MNKニュース)

全国名字めぐりの旅 青森県(3)

青森県の男性は誠実で優しく、対人関係がヘタで、思い悩む人が多いという。非社交的で照れ屋というわけだ。人口100万人当たりの力士数は全国トップだ。それは青森県人の体格がそうじて良く、「じょっぱり(強情で意地っ張り)」な性格だからだ。女性はしっかり者だが、案外ロマンチストなため、だらしない男に惚れて、苦労することが多いらしい。
 そんな青森県の代表的な名字といえば工藤さんだ。県内で最も多い名字でもある。この工藤さんは地名から発祥した名字ではない。元々は藤原という氏(うじ)から出た家でルーツは都(みやこ)のお公家さん。藤原為憲(ためのり)という人が御所の建築物を管理する木工寮という役所の次官になって、木工助(もくのすけ)という官職を授かった。これがよほど嬉しかったようで藤原の藤と木工助の工を組み合わせて、「工藤」という名字を創り、名乗った。今から1000年以上も前の話だ。全国にいる工藤さんはいちおう全員、この工藤為憲の子孫ということになる。青森に移住した初代は工藤犬房丸といわれ、現在の青森県八戸市のあたりに住んでいた。その子孫は青森県内の荒地を次々と開墾して資産を貯え、武士となり、地主となって分家を増やし、青森第一の多数姓となった。よく使う家紋は木工が「もっこう」と読めることから、「木瓜(もっこう)」。ほかに「庵(いおり)に木瓜」も使う。庵は木工助の職掌である建築物に由来している。工藤さんほど建築業が似合う名字はない。(出典 MNKニュース)

全国名字めぐりの旅 青森県(2)

私たちの名字の大半が地名に由来することはすでに述べた。この地名には地域的な特徴があり、その地方にしか存在しない地名がある。たとえば長内(おさない)という地名は岩手県と秋田県にしかない。秋田県の長内地名には平安時代(794-1185)に都のお公家さんだった藤原姓の人が住み着いて長内と名乗った。家紋は丸に三つ引きなど。岩手の地名には弓の名手だった鎮(ちん)西(ぜい)八郎為朝という武将の子孫が住み着いて長内と名乗った。家紋は隅立て四つ目など。古くは小山内(おさない)とも書いた。これらの長内氏は青森県を中心に広がり、現在、青森県で44番目に多い名字となっている。ほかの都道府県にいる長内さんは青森周辺から移住した人々の子孫だ。東京の長内さんもまたしかり。東京で長内さんに出会った時、「お宅は青森県から移住してきた家ですか?」と尋ねると、まず間違いなく「そうです」と答える。長内さんは何故知っているのか怪訝に思うだろうが、タネ明かしは名字の地域的特徴だ。(出典 MNKニュース)

全国名字めぐりの旅 青森県(1)

日本人全員に名字の使用が許されたのは、明治5(1872)年に「平民苗字許可令」という法律が布告されてからである。同じ年に近代最初の戸籍簿が作製されることになり、私たちの名字は正式に登録され、以降勝手に変更することができなくなった。
 江戸時代、名字は武士の占有物であり、庶民は使用を許されなかった。そのため、庶民に名字は無く、明治になって適当に付けたと長く信じられてきた。しかし、最近の歴史学では江戸時代の庶民も名字を持っていたという見方が有力になっている。それは、私的な場面で庶民が名字を名乗っていた証拠の古文書が、戦後続々と発見されたからである。
 これからは、ただの符丁だと思われていた名字を少しは見直そうではないか。私たちの名字は、先祖の身分に関係なく、少なくとも数百年、長ければ1000年近く代々受け継がれてきた家の遺産であり、シンボルなのだ。
では、私たちの名字は何から生まれたのだろうか。それは地名である。私たちの名字の大半は、かつて先祖の住んでいた地名に由来している。吉田さんは、吉田という地名に住んでいた人の子孫であり、中島さんは中島という土地に家があった人の子孫だ。
 もうひとつ先祖から受け継がれてきたものがある。それは家紋である。家紋は現在、約2万種類が確認されており、やはり1000年前に作られたものだ。ちなみに日本人が最も多く使っている家紋は片喰(かたばみ)と木瓜(もっこう)である。今は忘れ去られているが、この家紋にも実は固有の意味がちゃんとあるのだ。(出典 MNKニュース)

豆知識
  • 屋外用家紋エンブレムステッカー
  • 名前入り家紋印
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