家紋や名字、その他「和」に関するコラム

  • 渡辺崋山の家紋

    渡辺崋山の家紋渡辺崋山 。1793年10月20日 - 1841年11月23日、 政治家・画家。
    田原藩士である父・渡辺定通の長男として生まれる。代表画は「鷹見泉石像」「佐藤一斎像」など。幕府の保守的海防方針を批判し、国元田原で蟄居(蛮社の獄)。地元、田原中学校の校章もこの甲貝を使用。画像は谷中霊園、息子の小華の墓で撮影。
  • 石田一松の家紋

    石田一松の家紋1902年11月18日 - 1956年1月11日、 演歌師、議員。
    広島県安芸郡出身。父は井戸堀職人。大学卒業後、『酋長の娘』を作詞・作曲し大ヒットする。代表曲は『のんきな父さん』『いやぢゃありませんか』『のんき節』等。タレント議員のはしり。画像は谷中・安立院の墓所にて撮影。

    家紋は丸に木瓜紋
  • 石黒敬七の家紋

    石黒敬七の家紋石黒敬七 。1897年8月10日 - 1974年10月1日、 柔道家、随筆家。
    新潟県柏崎比角出身。警視庁で柔道師範を務める。渡仏しオペラ座で柔道のエキジビジョンを行う。戦後はNHKのラジオ番組「とんち教室」に出演。写真のコレクターとしても有名。著書「柔道千畳敷」がある。了ごん寺墓地にて撮影。

    家紋は丸に花蕨紋
  • 石田波郷の家紋

    石田波郷の家紋1913年3月18日 - 1969年11月21日、 俳人。
    愛媛県温泉郡垣生村出身。本名は石田哲大。読みは、いしだはきょう。久保田万太郎を慕って句作に専念する。代表句集『鶴の眼』『酒中花』。人間諷詠の道を辿り中村草田男加藤楸邨とともに人間探求派と呼ばれた。

    家紋は五瓜に抱き茗荷紋
  • 青江三奈の家紋

    青江三奈の家紋1941年5月7日 - 2000年7月2日、 歌手。
    東京都江東区出身。「伊勢佐木町ブルース」「長崎ブルース」「池袋の夜」などのヒット曲を持つ。紅白歌合戦に16年連続出場。亡くなる約2か月前に病床で作曲家・花礼二(本名:鈴木礼二)との婚姻届にサインし結婚。

    家紋の稲の丸紋は鎌倉霊園にて撮影。
  • 赤松満祐の家紋

    赤松満祐の家紋赤松満祐 。1381年 - 1441年9月25日、 守護大名。
    播磨・美作・備前の守護大名・赤松義則の子。読みは、あかまつみつすけ。二度に渡って侍所頭人を務め幕府内の長老格として権勢を振るう。結城合戦の祝勝会として足利義教を自邸に招き暗殺(嘉吉の乱)するが派遣された幕府軍に敗北した。
  • 中川清秀の家紋

    中川清秀の家紋中川清秀 。1542年 - 1583年6月10日、 武将。
    はじめ摂津の豪族であった池田勝正に仕えた。清和源氏頼光流の多田源氏の後裔。本能寺の変で信長が横死した後は羽柴秀吉につき、山崎の戦いで大いに活躍した。賤ケ岳の戦いにも秀吉方先鋒二番手として参戦したが、戦死。

    家紋は中川車と中川柏
  • 鳥居清信の家紋

    鳥居清信の家紋鳥居清信。1664年 - 1729年8月22日、 浮世絵師。
    大坂出身。父とともに大坂から江戸難波町に下る。歌舞伎の看板絵を描いていて評判となる。荒々しい演技の表現に努め「ひょうたん足みみず描き」といわれる画法を凝らした。鳥居派の様式的な基礎を築く。画像は池之端・妙顕寺にて撮影。

    家紋は五三桐紋
  • 砂田重政の家紋

    砂田重政の家紋1884年9月15日 - 1957年12月27日、 政治家。
    愛媛県出身。1920年に立憲国民党から衆議院議員に初当選。第2次鳩山内閣にて防衛庁長官として入閣。保守合同後は自由民主党で総務会長を務める。千鳥ケ淵戦没者墓苑の建設に熱心に取り組んだ。画像は小平霊園にて撮影。

    家紋は桔梗紋蛇の目紋
  • 関根正二の家紋

    関根正二の家紋1899年4月3日 - 1919年6月16日、 洋画家。
    福島県西白河郡大沼村出身。伊東深水は友人。代表作・「信仰の悲しみ」は日本の近代洋画史を代表する傑作の一つと評され、重要文化財の指定を受ける。画像は、江東区・重願寺にある墓所(姉の嫁ぎ先の奥田家)にて撮影。

    家紋は藤輪に菊座橘紋。