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豆知識

まめ知識家紋や名字、その他「和」に関するミニコラム

全国名字めぐりの旅 福島県(8)

九州の草野さんは現在の福岡県久留米市草野町に由来し、京で「この世をばわが世とぞ思う」と詠んだ御堂関白・藤原道長の兄道隆の流れをくむ高木肥前守の子が草野の地に住み着いて草野永経と名乗ったことに始まる。鎌倉時代から久留米地方屈指の豪族として栄え、嫡流は江戸時代には薩摩藩(鹿児島県)主島津氏に仕えた。
 一方、福島県の草野さんは学問の神様といわれた菅原道真の子孫である。道真は藤原氏の陰謀で九州に左遷されたのだから、福島県の草野さんにとって九州の草野さんは先祖の仇(かたき)ということになる。遠い昔の話ではあるが、敵対した先祖から同じ名字を名乗る子孫が出ることは珍しい。福島県の草野さんは「梅鉢」、九州では日輪を文様化した「鍋島日足(ひあし)」紋をよく使う。(出典 MNKニュース)

全国名字めぐりの旅 福島県(7)

大竹家は相模国(神奈川県)出身。第38代天智天皇の重臣だった藤原鎌足の流れをくむ武家藤原氏の子孫である。もともとは糟谷という名字で、糟谷義忠の孫が大竹五郎有政と名乗ったことに始まる。家紋は「左三つ巴」紋をよく使う。福島県にはほかに源氏の大竹氏もいて「隅立て四つ目」紋などを使う。(出典 MNKニュース)

全国名字めぐりの旅 福島県(6)

佐久間さんが最も多い都道府県は福島県である。しかし佐久間さんは福島県から発祥した名字ではない。現在の千葉県安房郡鋸(きょなん)南町佐久間から出たという。佐久間とは古い日本語の大和言葉で「掘られたように高低のつづいた土地」のことで、その地に第50代桓武天皇の流れをくむ桓武平氏の三浦一族が住み着き12世紀ごろに佐久間姓を名乗り始めたのだ。
 佐久間さんは武士として優秀だったのだろう。一門は全国に広がった。歴史上とくに有名なのは織田信長に仕えて「鬼玄蕃(げんば)」と恐れられた佐久間盛政である。信長の死後、母の兄である柴田勝家に従い、勝家が天下を賭けて羽柴秀吉と対決した賎ヶ岳合戦のとき、敵将中川清秀を討ち取る軍功を挙げたが、退却の機を逸して捕まった。秀吉は盛政の武勇を惜しんで自分に仕えるように説得したが、盛政はキッパリと断って処刑された。信州松代藩の洋学者・佐久間象山は盛政の弟・勝之の子孫という。この佐久間さんは祖先三浦氏の三を文様化した「丸の内に三つ引」と「九曜」を家紋としてよく使う。
 福島県に移住した佐久間さんは戦国時代には豪族となった。(出典 MNKニュース)

全国名字めぐりの旅 福島県(5)

ショートショート作品で有名なSF作家星新一は福島県いわき市出身の製薬王星一(ほしはじめ)の長男である。
星一は明治6年(1873)に生まれ、東京商業学校を卒業後、アメリカに渡りコロンビア大学に入ったが、中学相当の商業学校の出身だったため、本来なら入学資格はないが、日本の学校制度をよく知らない担当者に「自分の出た学校はアメリカの高校相当だ」と力説して入学を許されたという熱血漢だった。帰国後は衆議院選挙に立候補して当選し、明治44年(1911)に星製薬を創業。胃腸薬のヒットなどで東洋一の製薬会社といわれ、現在の星薬科大学を開校したが、戦争で工場の大半を失い、息子の新一が継いだ戦後には経営がすでに傾いており、新一は会社を手放して作家の道を選んだ。
福島県の星氏は前回初回した菅野家と同じく先祖が神主だったという家が多い。ルーツは藤原氏だといい、戦国時代、現在の南会津郡下郷町の上添城に星刑部少輔光成という武将がいた。家紋は名字にちなんで「月星」と「九曜(くよう)」を使う家が多い。曜とは星のことである。(出典 MNKニュース)

豆知識
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