家紋や名字、その他「和」に関するコラム

  • 高塚竹堂の家紋

    高塚竹堂の家紋高塚竹堂 。1889年5月23日 – 1968年3月30日、 書道家。
    静岡県清水市出身。本名は錠二。戍申書道会・泰東書道院・東方書道会の創立に尽力し役員・審査員を経る。国定教科書・台湾教科書を揮毫。松本芳翠と共に書道同文会を創設。書道連盟監事を勤めた。画像は小平霊園の墓所にて撮影。

    家紋は丸に梅鉢紋
  • 二条城 台風で徳川の家紋跡発見

    二条城 台風で徳川の家紋跡発見((注)2018年09月27日 (木)の記事です)
    今月の台風で、京都の二条城の国宝・二の丸御殿の屋根の飾りが落下し、飾りで覆われていた場所から徳川家の家紋の跡が見つかりました。
    二条城では、これまでも明治以降に徳川家の家紋を隠したり取り外したりしたとみられる跡が見つかっていて、城の事務所は当初の姿を知る貴重な発見だとしています。後略。(関西ブログより引用)
  • 明智光秀にちなんだ創作料理「高野城戦飯」 ゆかりの岐阜・瑞浪の日本料理店

    高野城戦飯岐阜県瑞浪市土岐町の日本料理店「みわ屋」(三輪晴二社長)が23日、戦国武将・明智光秀にちなんだ創作料理「高野城戦飯(いくさめし)」の提供を本店で始めた。NHK大河ドラマ「麒麟(きりん)がくる」の2020年放送を前に、主人公の光秀ゆかりの地を盛り上げる狙い。【立松勝】

    献立は、みわ屋が元祖の肉料理「牛真武士(まぶし)」をメインとした。戦国時代の携帯食をアレンジした「兵糧丸」、明智家の家紋「桔梗(ききょう)」の麩(ふ)料理や、戦国時代に武士が食したみそ風味の鶏肉焼き、やっこ豆腐などの小鉢が4品。陣中食の梅干し、ブドウの寒天と桔梗の形をした和菓子も付けた。後略。(YAHOOニュースより引用)
  • 高田屋嘉兵衛の家紋

    高田屋嘉兵衛の家紋高田屋嘉兵衛 。1769年2月7日 – 1827年4月30日、 廻船業者。淡路島の農民の子として生まれる。18歳で廻船業者を志して出て、後に本格的に廻船業、蝦夷地経営へ乗り出す。ゴローニン事件でカムチャツカ半島へ連行されるが、翌年帰国。司馬遼太郎の歴史小説『菜の花の沖』で有名になる。

    家紋は丸に違い柏紋
  • 高田実の家紋

    高田実の家紋高田実 。1871年5月8日 – 1916年5月24日、 新派俳優。
    東京生まれ。川上音二郎一座の「日清戦争」で李鴻章に扮したのが出世役。大阪で成美団を結成。評論「自然主義新演劇を唱ふ」を発表、関西新派の中心俳優として活躍し「新演劇の団十郎」と呼ばれた。

    家紋は丸に結び雁金紋
  • 高田みづえの家紋

    高田みづえの家紋高田みづえ 。1960年6月23日 -、 元歌手・元タレント。
    鹿児島県揖宿郡。本名は、日高みづえ(旧姓:高田)。「硝子坂」で歌手としてデビュー。高田家の家紋の抱き茗荷紋は、1980年頃の雑誌記事「これがアイドルスターの家紋だ!!」による。夫の松ヶ根親方(元大関・若嶋津)の家紋は丸に違い鷹の羽紋
  • 高田万由子の家紋

    高田万由子の家紋高田万由子 。1971年1月5日 – 、 女優・タレント。
    東京都出身。夫は音楽家の葉加瀬太郎。フジテレビ系番組「たけし・逸見の平成教育委員会」に出演。高祖父の高田慎蔵は明治時代に武器・機械商として財を成し「明治三大貿易商之一」とまでいわれた。画像は谷中霊園の高田慎蔵の墓所にて撮影。

    家紋は桔梗紋
  • 高須四郎の家紋

    高須四郎の家紋高須四郎 。1884年10月27日 – 1944年9月2日、 海軍軍人。
    茨城県桜川村出身。知英派で当時の欧米事情に詳しく日独伊三国軍事同盟や日米開戦に反対し、山本五十六や米内光政等、海軍左派勢力からも強く信頼されていた。最終階級は海軍大将。画像は青山霊園の墓所にて撮影。

    家紋は丸に違い鷹の羽紋
  • 高杉晋作の家紋

    高杉晋作の家紋高杉晋作 。1839年9月27日 – 1867年5月17日、 長州藩士。
    長門国萩城下菊屋横丁出身。長州藩士・高杉小忠太(家禄200石)の長男。吉田松陰の松下村塾などで学び、攘夷論を信奉した。下関戦争長州征伐などで奇兵隊など、諸隊を率いて大活躍し、長州藩を倒幕に方向付けた。

    家紋は丸に割菱
  • 高須克弥の家紋

    高須克弥の家紋高須克弥 。1945年1月22日、 医師。
    愛知県幡豆郡一色町出身。生家は江戸時代から続く医師の家系。テレビなどのメディアを使って美容整形を一般に認知させた。格闘技K-1のリングドクターとしても活動した。

    家紋は自宅にあるという鎧に彫られた丸の内に半角花菱に二つ引き両紋。