家紋や名字、その他「和」に関するコラム

  • 家紋珈琲店

    家紋喫茶店街歩きのついでに前から気になっていた「家紋喫茶店」に行ってきました。何故家紋?ってお聞きしたかったんですがお忙しそうだったんでお伺いできませんでした。またチャンスをみてお聞きします。

    久しぶりにサイフォンで淹れたコーヒーをいただきました。やはりコクがありなによりも香りが良いですよね。また関西では珍しい小倉あんトーストも食べられます。
  • 横井庄一の家紋

    横井庄一の家紋1915年3月31日 - 1997年9月22日、 元日本兵。
    愛知県海部郡富田村出身。大東亜戦争のため再召集され、満洲を経て、グアム島の歩兵第38連隊に伍長として配属。太平洋戦争終結から28年目、グアム島で地元の猟師に発見された。画像は、名古屋の行雲寺の墓所にて撮影。

    家紋の丸に立ち沢瀉紋
  • 湯浅倉平の家紋

    湯浅倉平の家紋1874年2月1日 - 1940年12月24日、 政治家。
    山口県豊浦郡出身。初名は石川倉之丞。実父が福島県士族湯浅家の養子となったため、自身も同家に入り「湯浅倉平」と改称。内大臣として、第1次近衛内閣、平沼内閣、阿部内閣の生みの親となる。

    家紋の笹竜胆は「石川」姓の名残を示すか。
  • 八百屋お七の家紋

    八百屋お七の家紋1668年 - 1683年4月25日、 八百屋太郎兵衛の娘。
    下総国千葉郡萱田で生まれる。幼い恋慕の挙げ句に放火未遂事件を起こし、鈴ヶ森刑場で火刑に処された。文京区円乗寺の墓所にある水桶には丸に三つ柏紋が記されている(画像)が、歌舞伎などで演じられる際は、丸に封じ文紋。

     
  • 毛利元就の家紋

    毛利元就の家紋1497年4月16日 - 1571年7月6日、 戦国大名。
    毛利氏は大江広元の四男・毛利季光を祖とする。本姓は大江氏。安芸の国人領主から中国地方のほぼ全域を支配下に置く。戦国時代最高の名将の一人と評される。画像は別の毛利家(青山霊園にて撮影)の毛利沢瀉紋。

    家紋は毛利沢瀉と一文字三星紋
  • 目賀田種太郎の家紋

    目賀田種太郎の家紋1853年8月25日 - 1926年9月10日、 法学者。
    江戸本所太平町出身。大蔵省主税局長、枢密院顧問官などを歴任。相馬永胤・田尻稲次郎・駒井重格と共に、専修学校(現:専修大学)を創設した。東京音楽学校(現:東藝大)創設の基礎を築く。家紋の抱き杏葉紋は池上本門寺の墓所にて撮影。

     
  • 向坊隆の家紋

    向坊隆の家紋1917年3月24日 - 2002年7月4日、 応用化学者。
    大日本帝国関東州大連出身。専門は電気化学で金属の腐蝕、原子炉材料を研究。東京大学総長を務める。文化功労者。主著『エネルギー問題についての基礎知識』『学長の平日と休日』等。画像は多磨霊園の墓所にて撮影。

    家紋は丸に陰陽重ね菱。
  • 三浦綾子の家紋

    三浦綾子の家紋1922年4月25日 - 1999年10月12日、 小説家。 北海道旭川市出身。旧姓堀田。結核の闘病中に洗礼を受けた後、創作に専念。代表作『氷点』は71万部の売上を記録したベストセラー。画像は北海道新聞社から出ている写真集「幼児のごとく」より。情報は三浦綾子記念館より。

    家紋は丸に十字架と魚紋。
  • 西郷どんと関係の深い人物の家紋(高杉晋作)

    高杉晋作の家紋1839年9月27日 - 1867年5月17日、 長州藩士。 長門国萩城下菊屋横丁出身。長州藩士・高杉小忠太(家禄200石)の長男。吉田松陰の松下村塾などで学び、攘夷論を信奉した。下関戦争、長州征伐などで奇兵隊など、諸隊を率いて大活躍し、長州藩を倒幕に方向付けた。
    家紋は丸に割菱
  • 西郷どん登場予定人物の家紋(坂本龍馬)

    坂本龍馬の家紋1836年1月3日 - 1867年12月10日、 政治家・実業家。
    土佐国出身。清和源氏の一支族美濃源氏土岐氏の庶家、明智左馬助秀満の末裔を称する。土佐藩脱藩後、貿易会社と政治組織を兼ねた亀山社中・海援隊の結成、薩長連合の斡旋、大政奉還の成立に尽力する。家紋の組合角に桔梗紋はあまりにも有名。