家紋や名字、その他「和」に関するコラム

  • 菊田一夫の家紋

    菊田一夫の家紋1908年3月1日 - 1973年4月4日、 劇作家・作詞家。
    神奈川県横浜市生まれ。本名は菊田数男。戦後、数々のラジオドラマ、テレビドラマ、映画、演劇、ミュージカルの音楽を手がけ多くのヒット作品を世に送り出した。代表作は「鐘の鳴る丘」「君の名は」。画像は上川霊園にて撮影。

    家紋は立ち沢瀉紋
  • 魁皇博之の家紋

    魁皇博之の家紋1972年7月24日 -、 元大相撲力士。
    福岡県直方市出身。本名は古賀博之。友綱部屋所属。最高位は東大関。引退後は年寄・浅香山を襲名。通算勝星1047勝、幕内勝星879勝、大関勝星524勝は歴代1位を記録。通算成績は1047勝700敗158休。優勝5回。

    家紋は向かい鶴
  • 大麻唯男の家紋

    大麻唯男の家紋1889年7月7日 - 1957年2月20日、 政治家。
    熊本県玉名市出身。読みは、おおあさただお。東條内閣の国務大臣として初入閣を果たした。政党政治家として戦前から戦後にかけて政友本党、立憲民政党、改進党、日本民主党、自由民主党等を渡り歩く。青山霊園にて撮影。

    家紋は六つ丁子車紋
  • 江川英龍の家紋

    江川英龍の家紋1801年6月23日 - 1855年3月4日、

    江戸時代後期の幕臣で伊豆韮山代官。通称の太郎左衛門(たろうざえもん)、号の坦庵(たんあん)の呼び名で知られている。韮山では坦庵と書いて「たんなん」と読むことが多い。

    洋学とりわけ近代的な沿岸防備の手法に強い関心を抱き、反射炉を築き、日本に西洋砲術を普及させた。地方一代官であったが海防の建言を行い、勘定吟味役まで異例の昇進を重ね、幕閣入を果たし、勘定奉行任命を目前に病死した。

    家紋は井桁に十六葉菊紋。
  • 宇井純の家紋

    宇井純の家紋1932年6月25日 - 2006年11月11日、 環境学者。
    東京都新宿区出身。読みは、ういじゅん。「純」の名前は6月生まれに由来するという。水俣病の問題を社会に知らしめる発端を作り、公害問題に関する住民運動などに強い影響を与えた。墓所の写真より判断。

    家紋は撫子紋
  • 飯田武郷の家紋

    飯田武郷の家紋1828年1月22日 - 1900年8月26日、 国学者。
    高島藩出身。読みは、いいだたけさと。脱藩して上京し尊王攘夷運動に参加。親交があった赤報隊隊長・相楽総三を葬ったという。『日本書紀』の注釈書「日本書紀通釈」を完成させた。東京帝大などで古典を教えた。画像は青山霊園にて撮影。

    家紋は七曜紋
  • 相島虚吼の家紋

    相島虚吼の家紋1867年11月24日 - 1935年4月4日、 政治家。
    常陸国出身。読みは、あいじまきょこう。大阪毎日新聞社で編集主任・副主幹・顧問等を歴任後、「昭和日日新聞」を創刊。のち衆議院議員に当選し、憲政擁護・閥族打破に尽力。また、俳人としても活躍。画像は谷中霊園の墓所にて撮影。

    家紋は梅鉢紋
  • 若嶋津六夫の家紋

    若嶋津六夫の家紋1957年1月12日 - 、 大相撲力士。
    鹿児島県熊毛郡中種子町出身。本名は日高六男。夫人は自身と同じ鹿児島県出身の元アイドルの高田みづえ。最高位は大関。現在は年寄・12代二所ノ関。幕内成績:356勝219敗13休 勝率.619。幕内最高優勝2回。

    家紋は丸に違い鷹の羽紋
  • 蝋山政道の家紋

    蝋山政道の家紋1895年11月21日 - 1980年5月15日、 政治学者。
    新潟県刈羽郡出身。群馬県高崎市で育つ。吉野作造の影響を受け政治学の研究を志す。二・二六事件に際して『帝国大学新聞』に軍部批判の論説を掲載。中央公論社副社長、『中央公論』編集主任、お茶の水女子大学学長。画像は小平霊園の墓所にて撮影。

    家紋は丸に三つ柏紋
  • 鈴々舎馬風(5代)の家紋

    鈴々舎馬風(5代)の家紋1939年12月19日 - 、 落語家。
    千葉県野田市出身。本名は、寺田輝雄。5代目柳家小さん門下。出囃子は「本調子のっと」。落語協会最高顧問。テレビ東京の「爆笑!おもしろ寄席」の企画「ハリセン大喜利」で、ハリセン大魔王として活躍。

    家紋の鈴紋は、鈴本演芸場の提灯。