家紋や名字、その他「和」に関するコラム

  • 荒川つとむの家紋

    荒川つとむの家紋1960年8月26日 -、 元歌手、ミュージカル俳優。
    東京都出身。1974年、第16回日本レコード大賞新人賞を受賞。アイドル歌手として活躍。85年からは劇団四季に所属。『ウエストサイド物語』リフ役でデビューする。

    家紋の片喰紋は、1980年頃の雑誌記事「これがアイドルスターの家紋だ!!」による。
  • 麻生久の家紋

    麻生久の家紋1891年5月24日 - 1940年9月6日、 政治家・労働運動家。
    大分県玖珠郡出身。日本労働組合総同盟の政治部長となり無産政党運動に参加。日本労農党を結成。後に社会民衆党と合併して社会大衆党とし書記長に就任。第2次近衛文麿内閣で新体制準備委員会委員となる。画像は多磨霊園の墓所にて。

    家紋は剣片喰紋
  • 安積艮斎の家紋

    安積艮斎の家紋1791年4月4日 - 1861年1月1日、 朱子学者。
    陸奥二本松藩・郡山出身。安積国造神社の第55代宮司の安藤親重の三男。読みは、あさかごんさい。ペリー来航時のアメリカ国書翻訳などにたずさわる。私塾を開き、岩崎弥太郎、小栗忠順、清河八郎らが学んだ。

    家紋の田字草紋は妙源寺にて撮影。
  • 秋山徳蔵の家紋

    秋山徳蔵の家紋秋山徳蔵。1888年8月30日 - 1974年7月14日、 料理人。
    福井県南条郡武生町出身。華族会館駐日ブラジル公使館築地精養軒の料理長を歴任。フランスに料理修行後、宮内省大膳職主厨長を務め天皇の料理番と通称される。フランス料理アカデミー名誉会員。画像は青山霊園の墓所にて撮影。

    家紋は丸に蔦紋
  • 赤坂小梅の家紋

    赤坂小梅の家紋1906年4月20日 - 1992年1月17日、 芸者歌手。
    福岡県田川郡川崎町出身。本名は、向山コウメ。古賀政男が作曲した「ほんとにそうなら」でデビュー。全国人気の歌手の中で、「炭坑節」を最初にレコード化した。また、「黒田節」も初めてレコード化した。

    家紋の丸に一文字三星紋は父親の墓所写真より。
  • 愛知揆一の家紋

    愛知揆一の家紋1907年10月10日 - 1973年11月23日、 政治家。
    宮城県仙台市出身。祖父・信元は徳川慶喜の小姓であった。法務大臣、文部大臣及び科学技術庁長官、内閣官房長官、外務大臣、大蔵大臣を歴任。環境庁長官、防衛庁長官の愛知和男は女婿で後継者。画像は雑司ヶ谷霊園の墓所にて撮影。

    家紋は七宝に蔦紋。
  • 羽子板紋

    羽子板紋歴史をひもとけば室町時代までさかのぼれるはねつき。その頃は公家の遊びだったといい、庶民に広まるのは江戸時代のことである。家紋として成立したのもこの頃であろう。名のある家にはなく、庶民によって作られた遊戯的な紋だったと考えられている。
  • 田中義一の家紋

    田中義一の家紋1864年7月25日 - 1929年9月29日、 政治家。
    長門国出身。萩藩士・田中信祐の三男。最高階級は陸軍大将。原敬内閣、第2次山本内閣で陸軍大臣を務める。第26代内閣総理大臣在任中に張作霖爆殺事件が起き、昭和天皇に強く叱責されたため内閣総辞職した。画像は多磨霊園にて撮影。

    家紋は鬼蔦紋
  • 武田泰淳の家紋

    武田泰淳の家紋1912年2月12日 - 1976年10月5日、 小説家。
    東京市本郷区にある浄土宗の寺に大島泰信の三男として生まれる。出生名は覚。父の師にあたる武田氏に養子に入り武田泰淳と名乗る。代表作は『司馬遷』『ひかりごけ』『富士』等。画像は中目黒の長泉院の墓所にて撮影。

    家紋は武田菱
  • 高松喜六の家紋

    高松喜六の家紋1600年代 - 1713年10月7日、 名主。
    江戸浅草阿部川町の名主。読みは、たかまつきろく。元禄11年、あたらしい宿場開設を幕府に願いでて、内藤氏屋敷前に内藤新宿をひらき、甲州街道をとりしまる名主となった。画像は四谷・愛染院にて撮影。

    家紋は抱き鷹の羽に変わり「高」の文字紋。