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豆知識

まめ知識家紋や名字、その他「和」に関するミニコラム

全国名字めぐりの旅 富山県(4)

富山県を代表する俳人の一人で、明治時代に活躍し、こつぜんと消えた女性に沢田はぎ女がいる。はぎ女は明治23年(1890)に現在の高岡市福岡町三日市の長沢家で生まれ、16歳のとき俳人の沢田岳桜と結婚。国民新聞の俳句欄に投句して名が知られるようになり、明治42年(1909)に夫と俳誌『菜の花』を創刊したが、子供が生まれたために句作を止めた。そのため地元では幻の俳人といわれている。昭和57年(1982)に92歳の長寿で亡くなっている。
富山県の女性は、はぎ女のように早婚でグチも言わずによく働く。そして好き嫌いがはっきりしていて曲がったことは大嫌い。結婚後の願いはただ一つでマイホームを持つこと。そのためには共働きもいとわないが、他人との交際はあまり得意ではない。
 はぎ女を出した沢田姓も富山県には多い名字。ルーツは第56代清和天皇(850-80)の流れをくむ清和源氏の子孫という家が多く、なかでも高岡市には清和源氏出身の沢田家が多く住む。昭和10年(1935)に富山県会議員となった沢田佐一郎も有名である。
 家紋は木瓜のほかに「三つ柏」や「蔦」をよく使う。(出典 MNKニュース)

全国名字めぐりの旅 富山県(3)

日本には現在、約2万種類以上の家紋があるといわれているが、富山県の墓地を歩くと、同じ家紋ばかりが目につく。木瓜(もっこう)である。富山県民の約4割近い家が木瓜紋を使っているといわれ、まさに富山県は木瓜王国だ。なぜこれほど木瓜を使う家が増えたのかといえば、北陸地方では古くから木瓜を七福神の恵比寿様のシンボルとして使っていたからだ。なぜ木瓜と恵比寿様が結びついたのかは不明だが、恵比寿様は大漁の守り神で、陸では五穀豊穣の神様である。この恵比寿信仰とともに木瓜紋が庶民の間で広がっていったことは間違いない。富山県からの移民が多い北海道でも木瓜紋は広がった。
富山県といえば薬売りも有名である。数ある薬の中でも富山売薬の元祖といえば反魂丹。胃痛・腹痛の薬で、その昔、富山県の住人・松井源水が立山権現から薬の調合を伝授されたといわれている。この松井さんも富山を代表する名字で、北海道へも渡って来た。ルーツは第56代清和天皇(850-80)の流れをくむ清和源氏の子孫という家が目立つ。石川県にも多く、能美市からはメジャーの松井秀喜が出ている。家紋は木瓜のほかに「抱き茗荷」と「花菱」など。(出典 MNKニュース)

全国名字めぐりの旅 富山県(2)

富山県は県の中央を走る呉羽丘陵を境に西部の呉(ご)西(せい)(高岡市より西)と東部の呉(ご)東(とう)(富山市より東)に大別され、それぞれ県民性が微妙に異なる。全体で共通しているのは性格が堅実なことと、早婚だが離婚率は低く、酒好きで清酒をよく飲むこと。これにくわえて呉東はとにかく勤勉でよく働き、ギャンブルなどの遊びには無関心。呉西は呉東に比べると柔軟性があり、恋愛に関しても打算的なところがある。バーゲン好きなのも呉西の特徴。女性は全体的に辛抱強く、共働きも苦にせず、隣の石川県では「富山から嫁をもらえ」ということわざがあるほど評価が高い。方言は江戸時代(1603-1867)、金沢藩に支配されていた関係で、金沢弁の影響を受けている。
藤井さんもそんな富山県を代表する名字である。呉西地方に多く、ルーツとしては石川県鹿島郡中能登町藤井から発祥した藤原利仁将軍の子孫という藤井氏が有名で、前回紹介した林さんと同族だ。豊田次郎光広の六男光基が藤井六郎と名乗ったことに始まり、後に富山県へ移動した。
家紋は木瓜(もっこう)のほかに「蔦」や「下がり藤」「九枚笹」などをよく使う。(出典 MNKニュース)

全国名字めぐりの旅 富山県(1)

林さんは富山県で二番目に多い名字。 林さんのルーツは第38代天智天皇の重臣藤原鎌足(614-69)の流れをくむ藤原利仁の子孫といわれ、現在の石川県金沢市林に住んでいた林豊前(ぶぜんの)守(かみ)貞宗に始まり、後に隣の富山県で大いに広がった。家紋は木瓜(もっこう)のほか、「違い鷹の羽」や「撫子(なでしこ)」「抱き柊(ひいらぎ)」などを使う。(出典 MNKニュース)

豆知識
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