豊臣家の家紋としても有名な桐紋金剛峰寺【和歌山県】の寺紋(家紋)1
- 価格 ¥440(税込)
高野山は、平安時代のはじめに弘法大師によって、開かれた日本仏教の聖地です。
「金剛峯寺」という名称は、お大師さまが『金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経(こんごうぶろうかくいっさいゆがゆぎきょう)』というお経より名付けられたと伝えられています。
東西60m、南北約70mの主殿(本坊)をはじめとした様々な建物を備え境内総坪数48,295坪の広大さと優雅さを有しています。(金剛峰寺ホームページより)
金剛峯寺で、こんな張り紙があります。
金剛峯寺には、寺紋が二つあります。
「五三の桐」と「三頭右巴」(さんとうみぎどもえ)
「五三の桐」は、豊臣秀吉拝領の青厳寺の寺紋。
「三つ巴」は、高野山の鎮守・丹生都比売神社の寺紋です。
一般に寺紋は、一つですが、金剛峯寺はこの二つで寺紋とされています。
・・・これは、何を意味するか?
丹生都比売神社・・
丹生は、水銀
熊野のように、
空海も「採鉱」の民と大きな関わりをもっていた。
高野山は「採鉱」の民のもの、鉱山・・
狩場明神は、採鉱の民、そのものであった。
空海が大学を退学し、遣唐使として中国へわたるまでの空白の数年間
私度僧となって、修験道者として、山野をさまよう
すでに高野山を知り、採鉱の民と関わりをもっていたとしたら
遣唐使の莫大な留学費用を調達することも可能だったのではないだろうか。
丹生都比売神社は、日本全国の朱砂を支配する一族の祀る女神であった。
【「空海」 遣唐使の“留学費用”の謎】http://ameblo.jp/0nce-upon-a-t1me/entry-11543533832.html
もう一つの寺紋・・・「五三の桐」
これは、豊臣秀吉が全国の鉱山を傘下に治めたことを意味する。
紀州平定後の豊臣家の並外れた富と経済力は、鉱山開発の技術、つまり、採鉱の民を手中にしたことではなかったか。
秀吉の時代、日本の銀の産出は、世界の3分の1を占めたという。
奥の院はより強力なパワースポットとして有名です。
金剛峰寺【和歌山県】の寺紋(家紋)
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